暖かな陽光が、少し早い春の訪れとばかりに住宅街を歩いている3人を明るく照らす。
並ぶ家の垣根には今にも咲かんとばかりに色とりどりの花々が蕾を膨らませていた。
春はもうすぐそこまで来ている。その言葉が、まるで重たい防寒着を脱ぎ捨てるように心を軽やかにさせるのはどうしてだろう。

 サクラの手には、つい先日オープンしたばかりの洋菓子店の箱とピンク色の紙袋があり、前を歩く男2人の両手には常日頃手にすることのないものが下げられている。
サクラは笑いを噛み殺そうとしたが、あまりにも現実離れした目の前の景色に我慢できなくなってしまう。
 ナルトもサスケの不機嫌顔をちらちらと覗き込みながら耐えきれずについに噴き出した。

「ナルトはともかく、サスケくんは本当に似合わないね」
「集合前に買っとくように頼んだのにこいつ、売り場の前で動けなくて突っ立ってんだぜ。
いやー朝から笑わせてもらったわ」

 おむつ売り場の前でこの世の終わりとばかりな顔をして立ち尽くすサスケ、その周囲では子連れの主婦たちが距離を置いてヒソヒソと声を潜めて話しこんでいた。
朝のスーパーで繰り広げられた光景はあまりにもシュール過ぎて、またそれを思い出したナルトの笑い声が一段と大きくなった。
 目的の家は周囲のそれに比べて外壁がまだ白く、新しいことが分かる。
立派な2階建ての家、ナルトも初めてここに来たという。

「イルカ先生、大奮発したみたいだってばよ」

 呼び鈴を鳴らすとイルカが満面の笑みを浮かべて出て来た。

「おーよく来たな!」

 ナルトとサスケの2人が手にしているおむつを見たイルカは更に目尻を下げ謝意を述べる。
玄関に入ると新築の家独特の木の匂いが3人を包んだ。

「お前ら、よくうちが使ってるの分かったな」
「小児科の看護師さんに教えてもらったんですよ。
サイズもそれで大丈夫でしたよね?」

 病院の医師としても働くサクラらしい実用的な選択だ。

「ああ、助かるよ」

 通されたそこは居間と台所が一つなぎの広い空間だった。
居間に面した庭は広く外と内を隔てる窓は大きなものが配されているので、室内は明かりをつけずとも明るくなっている。
希望の光であふれた象徴的な家族の空間。

「おー、カナタちゃん、久しぶりだってばよ」

 ナルトは居間の一角に一目散に向かっていく。
ベビーベッドには黄色のベビー服を着た赤ん坊が寝かされていて覗き込んだナルトに柔らかく笑った。
その柔らかな頬に手を伸ばそうとしたナルトをすかさずサクラが制する。

「ナルト!きちんと手洗ってからじゃなきゃ、抱っこはダメよ」

 ナルトは残念そうに舌を軽く鳴らすとイルカに洗面所の場所を聞いて、玄関の方へと戻って行く。
 所在無げに立つサスケにイルカが「ここ座れ」とソファの前に促すと、台所からイルカよりも少し年上と思われる気の強そうな女性が出てきた。

「春野先生、久しぶり。この前、健診のついでに顔出したんだけどいないだもん」
「聞きましたよ、ちょうど私の非番の時に来られてたって。
あ、サスケくん。イルカ先生の奥さんのヒビキさん。
救急課の副看護師長さんなんだけど、今は育休中」
「はじめまして、ナルトくんやイルカからお話しはよく聞いてるわ。よろしくね」

 サスケは何と言葉を返していいか分からずぺこりと頭を下げただけだったが、ヒビキはにこりと笑ってまた台所の方へと戻って行った。
台所からは昆布の出汁の香りがほのかに漂い漏れて来る。
「ヒビキさん、これ病院のみんなから」と、サクラは手土産を携えて、ヒビキの後をついて行った。
 テーブルの上には中心にカセットコンロが置かれており、その周りにも所狭しと料理が並べられている。

 もう何年もこんな光景を見た記憶はない、最後に見たのは果たしていつだったのだろうか?
サスケの脳裏には自然とうちはの屋敷の一枚板で作られた応接テーブルが浮かんでいた。
サスケと兄の好物ばかりが並べてあるテーブル、それを囲んだ家族の顔はみんな笑っていた。

「カナタちゃん、このおじちゃん怖いだろ」

 ナルトが赤ん坊を器用に抱っこしてサスケの隣に座った。
サスケをからかおうとしたナルトの意に反して、サスケを見たカナタはきゃっきゃっと嬉しそうに笑ってサスケへと向かって手を伸ばす。

「赤ちゃんでもやっぱりイケメンが好きなのかよー」とナルトは少し悲しげだ。
「面食いなのはイルカにそっくりね」
「イルカ先生って実はそうなの?何だか意外ー」

 湯気の上る土鍋をサクラが、その後ろからおたまと菜箸を持ったヒビキがテーブルに揃って、ささやかなサスケの復帰祝いは始まった。






それは夢のようにうつくしいしずかな朝





 サスケは紫煙を空に向かって長く吐き出した。
温かな家族の情景にはやはり自分は似合わない、と半分ため息も混ざっている。
居心地の悪さから、普段はめったに吸わない煙草を吸いたい、と口実を作り外に出た。
 それでも自宅に帰ろうと思わないのはきっとイルカやナルト達が傷つく顔を見たくないからだろうとサスケは自分の胸の内を探ろうとする。
ふと、頬に触れられた赤子の手の柔らかさ、温かさを思い出した。
煙草をアスファルトに擦り付け、携帯灰皿に入れると立ち上がってイルカ宅へと歩み出す。
 自分の表情が柔らかく緩んだのをサスケ自身は気づいてない。


 居間にはサクラとヒビキ、それとカナタの気配しか感じられなかった。
どうやらイルカとナルトは酒でも買い足しに出たのだろう。
サスケは女だけの空間には気まずくてさすがに戻れないと玄関へ引き返そうとしたが、つい居間の女達の声に聞き耳を立ててしまった。

「イルカ先生、本当にカナタちゃんがかわいくてしょうがないって顔してますね」
「ふふ、ほんとに大変なのよ。
お腹の中にいる時からこの子は立派な忍者にするんだって忍術書を読み聞かせてたんだから」

 ヒビキの語るイルカの姿を想像するのはあまりにも容易い。

「女の子だって分かった時から、イルカはあなたみたいなくのいちにしたいってずっと言ってるわ」
「ヒビキさんはどう応えてるの?」

 サクラの声のトーンが明らかに低く変わった。
少しの間があった後、ヒビキはゆっくりと話し始めた。
どう答えていいのか迷っているのだとサスケには感じ取れた。

「イルカはあなたの仕事に対する姿勢や優秀さしか知らないもの。
あなたの頑張りを私も見て来てるからイルカの言う事も分かるわ。
でも、正直に言うと何て応えていいか分からないわね」
「カナタちゃんは、くのいちにしないほうがいい」

 サクラの強い断言にサスケは少なからず驚いた。

「くのいちになったこと、後悔してるの?」

 暫く間を置いてサクラは「わからないです」と呟いた。

「ナルトくんからあなたが忍びを続けてきた理由、聞いたわ。もう、いいんじゃない?」

 サクラからは返答がない。

「ほら私って、春野先生が病院で働き出してからずっと一緒に働いてるでしょ。
だから院長先生から私が言えってずっとけしかけられてたんだけど、忍を辞めて、木の葉病院の医師にならない?」
「今の私があるのは綱手様のお陰です。綱手様が忍としての私を要らないと言うなら考えます」

 ヒビキは大きなため息を一つつくと矢継ぎ早にサクラに問いかけた。

「あなたまた痩せたでしょ?きちんと眠れてる?ご飯は?フラッシュバックだってまだ続いてるんじゃないの?」

 サクラは無言だ。ヒビキの声音は尖ったようで苛立っているのがサスケには分かった。

「ピルを飲んでるのは生理痛を軽くしようとしてじゃないでしょ?
他の忍から何て噂されてるかだって、耳に入って来てない訳じゃないでしょう?」

 息を呑む音が聞こえて、それからヒビキは小さく「ごめんなさい」と言った。

「サクラちゃん、五代目様もはたけ上忍もナルトくんも、みんな心配してるのよ。
あのことはあなたのせいじゃないのよ。
どうしてそこまで自分を追い込むの?傷を深くしようとするの?」
「私のせい、私が弱かったからなんです」

 一人こちらに歩いてくる足音が聞こえたが、サスケはもう動けなかった。
扉を開けたのはサクラで、目の前に立っていたサスケに目を見開いたが、サスケの表情から全て悟ったようで寂しそうに微笑んだ。
 その翠の瞳からは一筋の涙がこぼれていた。




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