サクラはびっくりしていた。
昨日までと同じ空、同じ建物、通りですれ違う人々も同じ筈なのに、どうしてこんなにも世界は美しく見えるのだろう。
意識していつもより大きくしている歩幅のせいだろうか。
違う、歩幅を大きくさせている彼のせいだとサクラは気づく。
木の葉病院の通用口から外を見た瞬間、サクラは自分の目を疑った。
救急の多かった夜勤明けの疲れ切った頭がありもしない幻を見せているのだと思った。
朝焼けで建物がオレンジ色に染まる中、門柱に寄りかかっていたその影は自分めがけて近づいて来て声を発した。
「疲れているところ悪いな。
少し、付き合ってくれるか?」
声を聞いてやっと、3年ぶりに見たその姿が間違いなく実在する彼だとサクラの頭は認識した。
うなずくのを待たずに彼は背を向けて歩き出す。
戻って来たら伝えたいこと、話したいことが沢山あったはずなのにそのどれも頭の中に浮き上がって来てはくれない。
その全てを思考の外へ追いやってしまうほど目の前の存在が圧倒的な大きさなのだと改めて認識する。
今この背中を見失ってしまったらもう次はないのではないか、サクラは不安になりながら早足で彼を追いかけた。
目の前を行く彼がふいに立ち止まって振り返った。
「俺は、義手をつけようと思う」
優しい眼差しが、ゆるやかに曲線を描く口元が、彼の心の海が凪いでいることをサクラに知らせる。
帰って来てくれたんだ。
途端にあたたかいような切ないような形容しがたいものがサクラの全身を占拠する。
喉元ぎりぎりまで出かかったその気持ちを寸でのところでぐっと飲み込む。
独り善がりで子供じみた、でもたった一つのこの想いを、もしまた口に出したらどうなってしまうんだろう。
サクラは息苦しさを感じて小さく口を開ける。
「サクラ」
1トーン低くなった声が、彼の真剣な瞳が知らせる、口に出したらいけないのだと。
サクラは選択を誤らなかったのだと安堵した。
二藍
空はどこまでも高く澄んでいて、息を吞むほどの透明な青の上に白い雲は一つも浮かんでいなかった。
暦の上ではもう春だというのに今朝の空気は冷たい。
だが部屋の中央に立たされたサクラも、その周りを忙しそうに立ち回っている母メブキも額には僅かに汗が滲んでいる。
サクラの目の前にある衣紋掛けには引き振袖が掛けられていた。
白の正絹の布地の上には薄墨の桜に牡丹、そして丹頂鶴が刺繍糸で随所に描かれている。
一見するとシンプルなものに見えるが繊細な刺繍が施されたそれは特別優れたものであることを知らせる。
父キザシがサクラが生まれた時に特別に誂えさせたものだ。
虫干しの度に登場するその着物を前にして大切な一人娘の晴れの衣装になることを母はサクラが幼い時分から教えていた。
その特別の一着をメブキは手にとり、サクラの後ろへと回り込む。
サクラが袖を通そうとしたその時、今まで無言だったメブキが口を開いた。
「あんた、サスケ君に幸せにして貰おうなんて思っちゃダメよ」
婚礼の当日の花嫁の母が言う台詞とはとてもじゃないが思えない。
結婚の報告をした時、母が反対するとはサクラは考えもしなかった。
蝶よ花よと育てたメブキはいつでも何であってもサクラがすることに反対をしなかったからだ。
最初からサクラと意を同じくしてくれた父の説得を以て母はようやく首を縦に振ってくれた筈だったのに。
サクラの胸中に瞬発的に怒りが湧き上がる。
「うんって言ってくれたんじゃなかったの?
どうして今になってまだそんなことを言うの?」
サクラは瞼の奥が熱くなるのを感じた。
怒りを通り越して悲しくなってくる、涙が出て来そうだ。
だが、対するメブキは目を見開いたのも束の間、怒り出した娘を笑い飛ばした。
「やーね!違うわよ!
今更反対したってしょうがないじゃない」
いつまでも笑い続けるメブキの様子を娘は訝しがって眺めている。
笑いの波が収まるとメブキはサクラの目をまっすぐと見据えて言った。
「サクラ、あんたはサスケ君に選ばれたかもしれないけど、あんたもサスケ君を選んだんでしょ。
自分の意志でサスケ君を選んだんだから、あんたがサスケ君を幸せにしなきゃいけないのよ」
目の前にいる母の輪郭が周囲の景色の境界線と曖昧になる。
頬に伸ばされた母の手は幼い時にあやしつけられたそれよりも小さくなったとサクラは感じた。
いつの間にか見下ろすことになっていた母の瞳にも涙が光っている。
「こら!せっかくいのちゃんがメイクしてくれたのに今泣いてどうすんのよ」
叱りつけるメブキだが、その声は穏やかで優しい。
「まだ言ってなかったわね。
結婚おめでとう、サクラ。
幸せになってね、私の小さなお姫さま」
早朝の神社、人影はまばらだ。
サスケはサクラの意を汲んで式を挙げようと言ってくれた。
だが、もともと自身を華やかに飾ったり、沢山の人の視線を集めるのを苦手とするサスケだ。
だからサクラは本当に最低限の人だけを招いた。
両親に恩師に親友たち、彼らに祝福して貰えるだけで不足なんて何もなかった。
参道の入り口には先に到着していたサスケとそしてナルトがいた。
紋付き袴を着た2人の姿は堂々として眩しくてサクラは思わず目を細めた。
乗り付けた人力車から降りようとしたサクラにサスケが右手を差し伸べる。
サスケがごく自然にそれをしてくれたという事実に照れながらもサクラは安心して左手を差し出す。
無事に地上に降り立った瞬間にほころんだサクラの表情は満開の花を思わせた。
サスケの頬も心なし朱に染まっているように見受けられる。
そんな2人の様子を見てナルトが口笛を飛ばす。
「サスケ~きちんと誓いの言葉は言えるんだろうな」
「あんなのはただの儀式だ。間違っても問題ない」
「そんなこと言って神様にそっぽ向かれても知らねーからな!」
サクラの右手を握るサスケの左手に力が込められる。
サスケはサクラの顔をじっと見つめると次にナルトに視線を転じた。
口を真一文字に引き結んだ真剣な表情だった。
「俺は神なんて信じてないからな、神に誓うつもりなんて毛頭ない」
サスケの発言にナルトが大きく目を見開く。。
だがサクラは何も不安を感じてはいなかった。
その瞳があの日見たサスケの瞳と同じだと解ったからだ。
「だからナルト、お前に誓う。
もう二度と繋いだこの手を離しはしない」
ナルトは腕をまっすぐに伸ばして親指を突き立てる。
「お前の誓いはたった今このうずまきナルトが受け取った!
サスケ、絶対にサクラちゃんの手を離すなよ!
男同士、親友同士の約束だからな!」
ナルトの声は朗らかに春の淡い青空に響き渡った。
「サクラ」
自分の名を呼ぶサスケの真剣な瞳はサクラを安堵させたが同時にある意味では不安にもさせた。
口に出してはいけないものなのだと、やはり報われることはない思いなのだと思ったからだ。
その眼差しを受けるのが辛くなってサクラは目を伏せてしまう。
「サクラ」
サスケはまた名を呼んだ。
サクラはいたたまれなくなって今度は身体ごとサスケの視線から逃れようとする。
次に名を呼ばれたらそのまま走って逃げ出そうかと頭の中に過ぎった。
だがサスケはそれを許さなかった。
サクラの正面へと回り込み、尚もその真剣な眼差しを向けて来る。
きっとサスケの最後通牒なのだ、サクラは今にも震えだしそうな自分を奮い立たせてサスケの目を真っ直ぐに見据えた。
どうかサスケの瞳に最後に映る自分が凛とした自分であるようにと願いながら。
サクラの視線を受け止めて一拍の間。
「今までお前は何度も俺にぶつかって来てくれた。
俺にかけてくれた言葉のどれも、本当に感謝している。
だから、お前にはいつでも笑っていて欲しいし幸せであって欲しい」
「俺はきっとこれからもお前を泣かせるだろうし辛い思いをさせてしまう。
それでも」
「それでもサクラ、お前の傍にいたいんだ。
今度は俺の口からきちんと言わせてくれ。
お前が好きだ、サクラ」
幸せを願って。
ちょうど1年前の今日、ブログにてちまちまと2次創作発表を始めました。
それから今日までの間に原作は無事完結を迎え、思いもよらぬ僥倖が起こりました。
いまだ、満足していない私(笑)はこれからも彼女への彼らへの愛を叫び続けていく所存です。
映画「ザ ラスト」を見てからずっと考えていたサスサク結婚話をようやく形にすることが出来ました。
昨年に続いて今年も、このままいくと来年のサクラちゃんお祝いも結婚話になるのかしら笑
これからもどうぞお付き合いしてくださると幸いです。
20150328