こんなことになるなら焼き増ししておけば良かった。
カバンの奥底に一枚しかない家族写真を忍ばせながらサクラは思った。
 空になった写真立てはつい先日買ったばかり。
一緒に買い物に出てもいつもは口出ししない夫が珍しく選んだものだった。
 少し考えたけれど新しく入れようと思える写真が思い浮かばず、写真立てはそのままお蔵入りにすることにした。


 家人の旅装を済ませて寝室から出ると、ちょうど大人ひとりが通れるほど向かいの部屋の扉が開いているのをサクラは見つけた。
 子供部屋、ベッドのはしっこにサスケが座っている。
視線の先、あたたかな布団は小さくふくらみ、規則正しく上下に動いている。
ちょこんと乗った小さな頭をくるむ艶やかな黒髪を、大きな右手が撫でていた。
時たまそっと移動し、やわらかく密集しているまつ毛を、すっと通った鼻筋を人差し指でなぞり、頬を掌で覆いこむ。
 昼間たくさんはしゃいで遊び疲れた娘は少しも身じろがず、父親からの愛を一身に受けている。
 あんなにやさしく触れてくれたこと、私にあったかしら?
娘にやきもちを妬くなんてきっと呆れられちゃうわ。
 サクラは足音を立てないようにして洗い物が待っている台所へと戻った。


 夕飯に使った食器を洗いながら、先ほど作った荷物に不備がないかもう一度頭の中で一つずつ並べていく。
 最低限の着替え、折りたためる野営用の食器、旅先で路銀に困らぬよう現地の通貨や必要なものと交換できるような貴金属。
充分な包帯と、そして医薬品。医療パックの中の薬もひとつひとつ手にとって確認したから大丈夫。
 綺麗になった食器を水屋にしまおうとしてサクラの手はぴたりと止まった。
家族の中で一番大きなお茶碗、黒塗りのお箸。
 明日の朝食が終わったらどこにしまえばいいんだろう。
不在のあいだ、思いださずに済むように目線より上の棚、見えない奥の方へしまおうか。
 長くなるかもしれない、と夫は視線もそらさずに淡々と言ったけど、二三日したらひょっこり帰って来るかもしれない。
それに目に触れないところにしまい込むなんて、何だかサスケがお客様みたいで薄情だ。
 最後にしたくないから明日の朝まで特別なことは何もしないし考えない。
そう決めたはずなのにやはり思った通りにはいかないものだ。
いつの間にか浮かんでいた目尻の涙をサクラはエプロンでぬぐった。
 居間からテレビのにぎやかな音が聞こえ、振り返るとサスケがソファに深く身を沈めている。
普段はバラエティなんて見もしないのに、別離を考えて淋しくなっているのはサスケも一緒なのだ。
 サクラはパタパタと大げさにスリッパの音をさせてサスケの隣に腰を下ろした。
細身と思われがちだが実は厚みのある体にぴたりと身を寄せる。

 いつから自然と身構えずに隣に座れるようになったんだろう。
 いつから自然と腕を広げて受け容れてくれるようになったんだろう。

 暗い森の中でひとり夜を明かすサスケが我が家を思いだす時に、胸のうちが温まってくれればいい。
口角を思いきり上げ、握った右手をくいと引っ張ってサクラはサスケの視線を自分の方へと向けた。

「サスケくんのほうがすっかりサラダを寝かしつけるの上手になったね」

「サクラ」

 サスケはサクラの笑顔を見ると絞り出すように妻の名前を呼んだ。

「お前は、後悔していないのか?
俺みたいな人間を選んだことに」

 どうしようもないひと。とたんに胸が苦しくなってサクラはサスケの頭を自分の胸の中にぎゅうぎゅうと閉じ込めた。
どうして何年経ってもこの人のたった一言で私の心はこんなにもかき乱されるのだろう。
 自分以外の誰にも見せないもろいサスケ本来の姿に苦しさと、そして悦びをサクラは心中に確かに見出す。
どうしようもないのは自分も一緒だ。でもこの気持ちもこの人に与えられたものなのだ。

「サスケくん、私が里を抜けるサスケくんに言った言葉、今でも覚えている?
不思議だね。私の気持ちはあの時から少しも変わってないの。
むしろ日に日につよくあつくなっている。
ナルトがカカシ先生が、いのが背中を押してくれたから、サスケくんが私の手を握ってくれたあの日から、
私はあなたの生き方について行くと決めたから、後悔なんてしていない」

 さきほどサスケが娘に施していたようにサクラも優しくサスケの頭を撫でつける。
しっかりと芯のあるボリュームたっぷりの娘の黒髪は間違いなく彼から受け継いだものだ。
胸の中の夫がおとなしく身をゆだねているのでサクラはなお一層の愛をこめて続けた。

「時々思うよ。私は今でもサスケくんがかけた幻術の中で幸せな夢を見ているんじゃないかって。
でも夢じゃない、サスケくんの一番大事なものをサスケくんは私にあずけてくれたから」

 サスケは少しだけ頭をかたむけ不思議そうな顔をしてサクラを見上げた。
豊かな黒髪の間からのぞく黒曜石は、娘が自分を見上げる時のまなざしを自然と思い起こさせる。

「サラダよ」

 私の、そしてサスケくんのたったひとつの大事な大事な宝物。
サラダがくれたものはたくさん、それこそ数え切れないほどある。
これからももたらされるであろうそれらを明日から当分のあいだ独り占めしてしまうことになると思うと、
悲しみと申し訳なさがサクラの胸にチクリと刺さる。
 サスケの目は僅かに見開き、そして今度は嬉しそうに細くなった。

「お前は俺なんかよりもずっと強くなったな」

 自分の頭に置かれた頼りなく感じてしまう腕を丁寧にほどき、華奢な体をそっと包み込む。
 蜘蛛が吐き出した糸のような細いつながりだけを頼りに追いかけて来たこの女がサスケにたくさんの希望を与えている。
今この瞬間の胸の奔流が少しでも伝わればいいと、サスケは自身の腕に力を込めた。
 左腕の不在を後悔するのは決まってサクラと一緒にいる時だ。

「俺は、幸せだ。
一人死ぬ時もサラダやお前のことを考えながら逝ける。
それはけして、ひとりじゃない」

 鮮やかな新緑を思わせる瞳の輪郭が滲んで涙がこぼれ落ちる。
弱さを見せまいとして常ならば隠されてしまう濡れた瞳はまっすぐにサスケを見上げている。
 頬を伝い落ちるしずくの描く曲線の美しさにサスケの時はしばし止まった。

「ひとつだけ、お願いしてもいい?
あなたが最期を迎える時は必ず傍にいさせて。
どんなに遠くにいても、どんなにひどい傷を負っていても必ず帰って来て」
「お前、それはきっと一番難しいことだと思うぞ」

 伴侶の真剣な願いだとわかっていても、サスケの口許は上がってしまった。
話す語調もつい軽やかになってしまう。
 それでもサクラの視線はサスケの瞳からそれずに見据えられたままだ。

「分かってる。それでも最期はサラダと一緒にあなたの手をにぎらせて。
サスケくんをひとりで死なせはしないって約束したでしょう」

 二度と得ることはできないと思ったつながりをサスケに与えてくれたのは他ならぬサクラだ。
そのつながりを強固な絶対のものへと作ろうとしているその手を離すつもりはサスケには毛頭なかった。

「約束する。
かならずお前たちのもとへ帰って来る」




no one










no one 歌詞






あけましておめでとうございます。
旧年中は半ばから更新のペースが大幅に落ちてしまい誠に申し訳ございませんでした。
それでも当サイトへお越しいただき、作品をご覧いただいた皆様に心より感謝申し上げます。
今年もどれぐらいの更新頻度になるかわかりませんが月1、せめて3ヶ月に一度は皆様のお目にかかれるよう頑張りたいと思います。
本年も何とぞよろしくお願いいたします。

2016年一作目はHilcrhymeの「no one」から。
カカサク創作部に提出する課題曲を探している時に耳に入って来たこの曲からイメージを膨らませたものになりました。
7月からずっと膨らませていたので難産にもほどがありますね笑
あ、これはサクラちゃんっぽい!と思う曲は結構多いのですが、サスケっぽいなと思ったのはこの曲が初めてでした。
699話のサスケのモノローグで「オレ達は孤独で愛に飢え 憎しみを募らせたガキだった」とあります。
ナルトとサスケはひとりぼっちの子供、という言葉にすると同じ境遇からのスタートではありますが2人の孤独の質は全く異質で、
その違いを考えた時にようやくサスサクのなれそめを頭の中で思い浮かべることが出来るようになりました。
ブログに掲載していた過去作の上げ直しやカカサク課題曲、Twitterでつぶやいたものなど書きたいものがまだまだありますが
全てが終わった今だからこそ湧き上がる2人の姿をしっかりと見つめて書けたらなあと考えております。
何はともあれこれからもご覧いただければ幸いです。
20160101

ひみつ ひとつ

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