暗い地下牢は僅かな光源が一つしかなく、それを中心に向かい合う男女のお互いの上半身をぼんやりと浮かび上がらせる程度しかない。
男の髪は黒く周囲の闇に溶け込んでおり、漆黒の瞳は目の前の女を真っすぐに見据えている。
女はうら若い外見にそぐわぬ威厳でいつもは挑発的な笑みを浮かべているが、現在の表情は男と同じように真剣な眼差しで男を見返していた。

「私はね、正直なことを言うとお前を信用できるかと問われると、否、と答える。こうして面と向かって本音を言う奴はまだマシだ。
だがね、里に戻るということは、伝聞でしかお前を知らない、悪意のある者や、
悪意がなくともお前を畏怖の対象として見る者たちと関わりながら生きていかなければいけないということだ。
ナルトやカカシ、サクラが常にお前を庇ってくれるとは限らない。お前自身が一から居場所を勝ち取る、その努力をしなければいけない。
それは数日後かもしれないし、死ぬまで変わらないかもしれない。
お前にその覚悟があるのか。その覚悟があるのなら私は里に再び迎え入れよう。
だがその覚悟ができないのなら、このまま里に戻らない方がお前にとっては幸せだと思うがな」

 抜け忍であるサスケの処遇、その行方を決めるのは、五代目火影である綱手に一任されていた。綱手は何よりもサスケの意志を確認したかった。

「俺は一度決めた自分の考えを変えるつもりはない」

 落ち着いた静かな口調、視線は変わらず綱手を捉えている。綱手はその様子を見て柔らかく微笑みを浮かべ立ち上がった。

「長々とここに拘束して悪かったね。手続きを済ませるから明日にはここから出るといい。
まずはゆっくりと体を休めてこれからのことを考えろ」

 牢の入り口まで歩みを進めると綱手は何かを思い出したように振り返った。

「若いもんに色々言いたくなるのは年をとった証拠だね。
サスケ、今度こそ自分自身を幸せにするんだよ」



 




 戦争の終結から三カ月、澄み切った冷たい空気を暖かな陽光が照らす、一月のある朝。
一週間の自宅待機という火影からの命令と、うちはの邸宅の鍵を看守から渡され、うちはサスケは晴れて自由の身となった。
 復興が進む里の中心部から離れた里の端にうちは一族がかつて住んでいた居住区がある。
被害を被っている場所もあったが、サスケが住んでいた屋敷は奥まったところにあった為、かつてと変わらぬ佇まいで残っていた。
季節の花で彩られていた庭は腰の位置までの枯れ草が一面を占め、鯉や鮒が泳いでいた池には藻が水面を覆い、枯れ葉が堆積したせいか緑灰色に濁っている。
 玄関を開けると外気よりも冷たい空気とカビの饐えた匂いが鼻孔を刺激し、経ってしまった時間をサスケに否応なく知らせた。
 家じゅうの雨戸を開け、日の光を取り込む。
縁側に腰かけて荒れきった庭を眺めながら「まずは掃除だな」と一人ごちると「サ~スケ君」と屋敷の入り口から騒々しい呼び声がした。

 引き戸を開けるとそこにはナルト、サクラ、サイの三人が立っている。三人はそれぞれ何かしらの荷物を持っていた。
不審げなサスケの視線に「俺たち三人とも今日明日は非番なの、手伝いに来てやったってばよ」と真ん中に立つナルトが説明をする。
頭にはタオルを巻き、手にしたホウキの柄を軽くコンと地面に突き付けやる気満々の様だ。
サクラとサイが手にしているのもバケツや雑巾、洗剤など諸々の掃除道具だと見受けられ、サスケは素直に厚意を甘受した。
 サイはもちろんのこと、ナルトとサクラの二人も屋敷を訪れたのは今回が初めてだ。

「サスケん家ってめちゃくちゃ広いんだな!」
「そういえば水道とか電気とかって大丈夫なんですか」
「あ、それは綱手様が今日から使えるようにって手配してたから大丈夫なはずよ」

 まずは屋敷の中を掃除することに決め、家主のサスケが持ち場をそれぞれに割り当ててから開始した、が、屋敷のそこここからサスケを呼ぶ声がする。
サスケ以外の三人にしてみればよそ様のお宅だ、「あれは触っていいのか」、「ここは開けていいのか」などサスケに了承や許可を得てからでないとおいそれと作業は出来ない。
自分の名を呼ばれる度に、電燈の笠を拭こうとして登っていた梯子を降りたり、絞りかけの雑巾をバケツに再度沈めたり、と作業を中断させられたが、サスケは不思議と不快にはならなかった。
ナルトやサクラ、サイにも彼のそんな様子が伝わったらしく、些細なことでも彼の名を嬉しそうに呼んだ。
 昼食はサクラが持って来たおにぎりを縁側で食べ、午後からはナルトが言い出した廊下の雑巾がけレースを四人でしたり、と時間はあっという間に経っていった。
日が暮れ始める頃には屋敷の中はすっかり綺麗になり、四人で商店街へと出向き、サスケが最低限必要な日用品や食料を買って「また明日」、とその場で解散した。


 久しぶりに浸かった風呂は体中のあらゆるところを柔らかく弛緩させていく。水周りはサクラが担当していたが、壁や浴槽は綺麗に磨き上げられていた。
昨晩綱手に最後にかけられた言葉がふとサスケの脳裏をよぎる。兄が愛した里に戻り、ここでまた生きていく、と決意したのは間違いなく自分の意志だ。
 だがそれが自分の幸せなのか、と問われるとよく分からない。幸せだと感じた時を思い返すと、そこには必ず兄や父母の顔が出てくるが今はもういない。
以前は家族の顔が浮かぶと、里に対する怒りももれなく頭をもたげていたが、今は心に静かに悲しみの波紋が広がるだけだ。
これ以上考えるのはもう止めだとばかりに、湯の中に頭の先まで沈みこんだ。


 二日目、残るは庭の掃除だ。
水抜きした池のヘドロを掻き出す作業をじゃんけんで負けたナルトとサスケがし、サクラとサイは雑草や枯れ草の刈り取り、落ち葉を掃き集める作業をすることになった。
サスケが池に入りヘドロをバケツで掬い、ナルトがそのヘドロを裏手の山に捨てに行く。
タオルで口元を覆ってはいるが、冬とはいえヘドロの匂いが鼻をつくのと、水分を含んだそれを中腰で掬う作業は地味に疲れる。
 三十分ほど経ち、掬う役と捨てに行く役とを交代し、両手にバケツを持って裏口の木戸のところに行くと、サクラが屋敷を囲う塀の一画の前で突っ立っているのが見えた。

「おい、サボってんのか」

 サクラはびくりと肩を震わせたが、サスケの顔を見ると「サスケくん」と嬉しそうに微笑んだ。その笑顔につられて自然と足は彼女の方へと向かう。

「これってブーゲンビリアだよね」

 どうやら彼女は緑に生い茂るそれを眺めていたようだ。塀の一面をその緑が覆い隠している。

「ああ、俺が生まれた年に父さんが植えたって母さんが言ってたな。暑くなる頃には葉の上のほぼ全部を紫色の花が覆ってた」

 両親の話をこんなに穏やかに、ためらいもなく滑らかに話している自分自身にサスケは少なからず驚いた。
隣にいるサクラはサスケの僅かな変化には気付いていないようで、初めて聞くサスケの思い出に「そっか、綺麗だったんだね」と静かに頷いている。

「寒さに強いのをわざわざ選んだって話だったが、ずっとほったらかしだったからもう花は無理かもしれないな」

 サスケはぽつりと漏らすと、両手に提げているバケツの存在を思い出し、一旦その場を離れてヘドロを捨てに裏手の山へ向かった。
昨日から度々遭遇する自分の些細な変化をうまく処すことが出来ない。憎しみと怒りを原動力に動いて来た今までの自分を否定したい訳でもない。
その原動力たる思いこそが自分を強くし、真実にたどり着くことが出来たからだ。
地下牢にいた間、何度も思い巡らせていた。憎しみや怒りが消えずに燻ぶり続けたら自分はどうなるのか、と。
簡単に気持ちを切り替えられるとは思っていなかったが、自分が考えている以上に感情の方が滑らかに動き出しており、それこそが戸惑いの原因だとサスケは自覚していた。
素直にそのスピードに従えばいいのに、従うと今までの自分を否定するような気もする。
ヘドロのようにここに捨て置いていければいいがそんなに簡単な煩悶ではない。モヤモヤとしたままサスケは戻ることにした。


 空になったバケツを提げ、また木戸をくぐると、サクラが待っていた。
サスケの瞳を真っすぐに覗き込んでくる緑色の瞳は、昔と変わり彼女の自信をたたえている。

「さっきの話の続きなんだけど、きちんとお世話をすればまた綺麗に咲かせられると思うよ。
サスケくんが迷惑じゃなかったら、私お世話しに来てもいいかな」

 サクラの真意が分からず、サスケはどう返事をしていいのか分からない。サスケの目付きから彼の「なぜ」を汲み取ったようでサクラは続けた。

「サスケくんの誕生花なんだよ、ブーゲンビリアって。誕生花はその人に幸せをもたらすお守りみたいなものだって言われてるの。
また咲かせたら、サスケくんのお父さんとお母さんもきっとすごく喜んでくれると思う」

 その時、一陣の風が吹いた。一月とは思えない温かな風だ。微笑むサクラの瞳の奥に、母親の姿が見えた。幼い時に何故父がこの木を植えたのか、と尋ねた時の母のその笑顔だ。
人差し指を綺麗な唇に付け「内緒」といたずらっぽく笑うと、「いつか分かる時が来るわ」と優しくその腕の中に自分を包み込んでくれた。
母親の身体の柔らかさ、暖かさが。幼い彼の頭を撫でる力強い父親の手の重みが。小さな彼の掌を優しく握り返してくれた兄の手の温もりがサスケの胸を熱くしていく。


ああ、みんなは変わらずに今もここにいる。
ああ、彼女は変わらずにここにいたんだ。


「ダメかな」

 サクラの声が優しくサスケを目覚めさせる。

「なあ、お前が幸せに感じる時ってどんな時だ」

 意図せぬ彼の質問に彼女は腕を組んで真剣に考え込む。

「目玉焼きが半熟でうまく焼けた時、とか」

 真顔で語る彼女の様に思わずサスケは吹き出す。

「もう!食べることって大事なことなんだよ!」

 サクラは顔を真っ赤にしてその恥ずかしさを隠すように拗ねた素振りで作業に戻ろうと背中を向けようとする。

「サクラ」

 呼び止められた彼女は赤い頬のままこちらに身体を向ける。


「サクラ、ありがとう」

 彼女が向ける眼差し、笑顔の暖かさをサスケは眩しそうに見つめていた。





 GWにTwitter上の素敵企画「エアサスサクプチオンリー」に参加させて貰ったのですが、消化不良だったので、補完する為にサスケ視点で作りました。創作って難しい…

サスケはどんどんサクラちゃんの魅力に気付けばいいよ!

20140518


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