それは夢のようにうつくしいしずかな朝




「取引には応じない」


 綱手のその一言にナルトとサスケの目が見開く。
火影取次の中忍の制止を振り払って執務室へと飛び込んで仔細を報告した2人には思いもよらぬ返答だったからだ。。

「どういうことだってばよ、ばあちゃん!?」

 執務机に両手を叩き付けたナルトは今にも綱手に飛びかかりそうな勢いだ。

「ナルト君、待ってください!落ち着いて」

 ナルトの前に回り込んで制するシズネに向かって綱手は8班を呼んで来るように命じる。
執務室から出て行くシズネの背中を眺めながら綱手は口を開いた。

「明日の今頃じゃ手遅れになる可能性が高い」
「手遅れ?」
「チャクラを切ったのは2時間前だと言ったね。
サクラの体内にはまだ朱砂がある。
お前たちに詳しく言う必要はないと思ってあの時は言わなかったが、精製前の朱砂は人体にとって毒だ」

 何がただの鉱物の運搬だ、森の中で分散を提案したサクラにもっと強く反論すべきだったのだ。
サスケは己を落ち着かせるためか深く息を吐き出す。

「その毒を体内に入れたままでどうやって体に影響なく運ぶんだ?」
「朱砂を入れた容器にチャクラを纏わせて強固にすることで可能となる。
朱砂の変性をさせないようにする自身の体温調整と、そして朱砂から自分自身を守る為と、
体内で同時に2つのチャクラコントロールをさせなければいけないから、この運搬は限られた医療忍者でしかできないんだよ」
「でも容器に入っているのなら、その容器が壊れない限り大丈夫ってことじゃ」
「容器が壊れない限り…その容器自体にも限度があるってことなのか?」

 ナルトの言葉の一部をサスケは同じように辿り、そうして綱手が何を言おうとしているのか悟って綱手を見る。

「そういうことだよ。チャクラが流されなくなった容器は朱砂の強い毒性で腐蝕が進んでいく。
チャクラで保護されていない容器の耐久時間は8時間がやっとだ。
ましてチャクラが使えないだけで済めばいいが、今のサクラは囚われの身。
敵は木の葉の情報を得ようとしてサクラに拷問を加えるかもしれない。
外からの衝撃で容器が壊れてしまえば一巻の終わりだよ」

 最悪の光景が2人の胸をよぎり、執務室に重苦しい静寂が訪れる。

「だからこそ、取引まで待つつもりなんかないんだよ」

 綱手が力強く言い終わると同時にシズネに連れられてキバとヒナタが執務室へと入って来た。

「シノはいないのかい?」
「今ちょうど蟲の産卵期で収集に一族総出で出てるから里にいないんすよ」

 キバは僅かに眉根を寄せて困った様子で答える。

「相手も蟲を使うみたいだからシノがいた方が良かったがしょうがないね。
赤丸の嗅覚とヒナタの白眼があれば捜索は事足りるだろう。
今からお前たちに任務を言い渡す。
最優先は敵に囚われた春野サクラの捜索及び保護、敵は生け捕りが好ましいが場合によっては殲滅しても構わん」
「待ってばあちゃん!
敵は深緋っていうのと交換だって言ってんだ。
もしどうしてもサクラちゃんを助ける為にそれと交換しなきゃいけない状況になったら」
「その時はくれてやれ」

 綱手の発言の真意が分からずにナルトは首を傾げた。

「深緋は、朱砂の精製体のことだよ。
奴さんは自分が欲しがっているものをまさか人質自身が持っているなんて夢にも思ってないみたいだからね。
さあ!
時間が惜しいからキバとヒナタは、道中ナルトとサスケから報告を聞きな、頼んだよ」

 執務室から出て行こうとする4つの背中、その内のひとつに向かって綱手は声をかけた。

「サスケ」

 呼び止めた綱手ではあったが、サスケが振り返ると何かを考え込んでいるようで俯いて自分の手元を見ていた。
先に出て行った3人の気配がだんだんと遠くなるのが分かっているだろうにまだ口を開かずにいる。
綱手の様子にサスケの心にはいらつきが波立つ。

「行ってもいいか?」

 苛立ちの混じったサスケの声に意を決したようで綱手は顔を上げて問いかけた。

「あの子が、サクラが変わってしまった原因を知ってるかい?」

 サスケの脳裏に、サクラの澄んだ表情がふわりと軽やかに浮かんだ。
あの夜、確かに目の前にあったのに触れることの叶わなかった、あの悲しいほどに澄んだ笑顔が。
 サスケの沈黙を肯定と受け取り綱手は続けた。

「知ってるんだね、なら話が早い。
今回の敵は、もしかしてサクラにとっては最悪の敵かもしれない」
「どういうことだ?」
「腕に認識票の束を付けている、と言ったね。
ただの偶然ならいい、だがもしかしたら」

 尚も迷う素振りを見せた綱手にサスケは早く、と言わないばかりに詰め寄って催促をする。

「お前が復帰して識別票を渡した時のことを覚えているかい?
登録番号の横にある数字を尋ねたお前にサクラが自分の認識票を見せたろう?
紛失したりして再交付した場合に『-2』と彫り込まれると」

 月明かりの下、乱雑に散る銀色の光がサスケの頭の片隅を掠める。
延ばされた男の腕に下がっていたその束が。

「まさか」
「そのまさかかもしれないって言ってるんだよ。
サクラは凌辱された時に識別票を奪われている。
別人ならいい、だがもし同じ男だったら」


「頼む、サスケ…!
あの子に、サクラにまたあの時と同じ絶望を味わわせないでやってくれ」

 声を震わせて頭を下げた綱手は、火影ではなくただ一人の女としてそこにいた。




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