サクラが火影の執務室に入ると、ちょうど朝日が昇る瞬間だった。
入口の向かいの全面の窓ガラスから自分を射殺すような凶暴な光が差し込んでくる。一瞬眼が眩み、身体がすくんだ。

 火影の威光を存分に示す為、この部屋は里の一番高い建物の一番高い場所にある。
東側に全面の窓ガラスを配し、それを背にするように火影の机は置いてあった。
里の絶対的な存在がそこにいるのだと訪問者に否応なく知らせる仕組みだ。
眩い光の中、見慣れた影が立ち上がるのがわかった。

「おはようございます。こんなに朝早くから師匠がこちらにいらっしゃるなんて今日は夏日になっちゃうかもしれませんね」

 不安を打ち消したくて、努めて明るく、軽口を叩く。

「非番に入ったばかりだってのに悪かったね。ナルトの様子はどうだい」

 綱手の有無を言わせないプレッシャーに、サクラは態度を改めざるを得なかった。

「さきほどようやく落ち着きました。ナルトがあんな重篤になるなんて・・・」

「何の任務だったんですか」と思わず聞こうとしたがすんでのところで口を噤む。
ナルトの状況を見てSランク任務であることは間違いない。
Sランク任務は担当者以外がそれを知ろうとすることは処罰に該当する行為となる。
疲れのせいか、不安な気持ちがずっと胸にあるせいか判断力が鈍っている。

 サクラは自分を諌めるかのように軽く頭を振り、綱手を見据えた。
綱手はそんなサクラの様子をじっと見据えたままだ。やっぱり何かがいつもと違う、サクラの中で警鐘が大きく鳴る。


「うちはサスケが里に戻りたいと打診してきた。
交換条件はうちはイタチの首だ。ナルトはサスケと同行し、傷を負った」

「え」


 あんなにも眩しく感じていたのが一転、サクラの視界は突如真っ暗になった。
さきほど木の葉病院の廊下でシズネに名を呼ばれた時よりも更に心臓が大きく跳ねる、跳ねる、跳ね続ける。

「サスケは今、地下牢に捕えてある。ナルトほどひどくはないが、怪我を負っているよ。
いいかい、サスケが里に戻ってきたのはまだ機密扱いだ。処遇もこれから相談役や各部署と色々調整して決めることになる。
サスケの治療をして、奴の身体の大蛇丸の呪印を封印したら、今日は帰っていいよ。報告は明日でいい」

「はい」

 返事をするのがやっとだった。自分は今どんな表情をしているのだろう。まともな表情をしていないことは確かだ。
綱手様の顔が見れない、とぐるぐるとサクラの頭の中を思考が駆け巡る。


 さっきまで跳ねていた心臓の音が今はまるで止まってしまったかと感じるぐらい一切聞こえなくなっていた。






それは夢のようにうつくしいしずかな朝






 等間隔の光が、少しずつ地下へと延びて行っている。その光に誘われ、歩を進める。まるで誘蛾灯のようだ。
ちりちり、ちりちりと青い炎に指先から静かに焼かれていく感覚、緊張しているのだ。
一歩、また一歩と進むたびにその冷たい炎が全身に広がっていくようだとサクラは思った。

 緩やかな傾斜が延々と続く先に暗部の男が2人立っていた。2人の奥には厚い扉。何重にも封印術が施してある。
通路の少し先には看守の詰め所があり、そこからも幾人かの気配がする。
 現在この監獄にはサスケ以外の囚人は捕らわれていないはずだ。
1人の男に対してこれだけの厳重な警備、里のサスケに対する不信がありありと表れている証拠だった。

「火影の要請で来ました。医療班の春野サクラです。対象者の治療と封印術を行います」

 仮面の奥の仄暗い瞳がサクラの全身を足元から頭のてっ辺まで一瞥するとその視線が右へと動いた。
視線の先には小さな机が置いてあり、そこに医療用バッグを置くと中身を取り出し1つずつ並べ、机の上に置いてあるリストに所持品を記入していく。
 牢の中に何かを持ち込む場合はここで検分するのが決まりだ。門番の2人はそれを丁寧に確認していく。

「未明に捕らわれた男だ。携帯していた武器は全て押収し、チャクラコントロールも出来ないように術を施してある。
何も起こりはしないと思うが、身の危険を感じたら卯の印を結べ」
「わかりました」

 サクラが医療用バッグに今しがた出したものを全てしまったのを見届けてから門番の一人が口を開く。
深くうなずくと、暗部の2人が同時に印を結び、奥の扉が音もなく開いた。一歩踏み込むと同時に扉が閉じられたのを空気の動きで感じた。



 扉の中は今まで歩いて来た通路より更に暗くなっていた。囚人が無駄な病気にならぬよう、温度・湿度は一定に保ってあるようだ。
牢の中央には木製の粗末なテーブルと椅子が一組。テーブルの上には水差しと、術で明かりを灯されたランタンが置いてある。
奥にはやはり粗末なベッド。その上で湿気を帯びた岩の壁にもたれかかって男がいた。
 暗がりの中にぼんやりとその影が浮かび上がっている。
サスケがここにいることを事実としてきちんと認識しているはずなのに、その姿を捉えたほんの一瞬、サクラの息が止まった。
からからに喉が渇いている。生唾を飲み込み、サクラは事務的に声を発する。

「医療班所属の特別上忍春野サクラです。あなたは現在捕虜としてここにいます。
捕虜法上、あなたの処遇が確定するまでの間、身体上の最低限の保障はされます。
また、もし待遇に不満がある場合は改善を訴えることも可能です。
今日私は治療に来ました。それと、あなたの身体に施された大蛇丸の呪印を封印すること。それが私の任務です」

 捕虜に接触する場合、まずは自分の名前・身分、目的を明らかにすることで敵意がないことを相手に与え、彼が持つ権利を説明することで安心感を伝える。
何度となく繰り返して来たこの台詞が今この瞬間、サクラにはお守りのように感じられた。
これで彼と自分の間に一定の線を引くことが出来たはずだとサクラは無理に思い込む。

 男はその言葉を聞くと立ち上がり、薄手のシャツを脱ぎ捨て、椅子に座る。
そのゆっくりとした動作をサクラは食い入るように見つめていた。
下忍の時の彼と同じか同じでないのか、見極めたいのかそうでないのかすら自分でもわからない。
だが目線を逸らすことをサクラは出来なかった。
 触れたくない、近づきたくない、と頭の中で警鐘が鳴るがそうは言っていられない。
目の前の男に悟られないよう呼吸を整え一歩踏み出した。

 最初に目に留まったのは左の肩から腹部にかけて大きく切られた傷だった。
傷口はすでに乾き始めていたが、出血の多さが容易に知れる。

「腕を出してください」

 輸血用の血液パックを壁のフックにひっかける。
出されたそれは大人の男の鍛えられた腕だった。女の自分とは違う太くしなやかな筋肉のついた腕。
切り傷や火傷痕など昔では見られなかった傷痕をいくつも発見する。
 ためらいがちに男の腕に触れたが、自分が思ったよりも自分の指は手際よく血管を探り、針を入れた。
迷いのない動作を行う自分の身体に、サクラの動揺は少しだけ落ち着きを取り戻した。
 だが、けして顔を上げることは出来ない。彼の息遣いが感じられて、その視線が自分を見ているとサクラには分かったからだ。
サスケは自分の行う治療に不審なことがないか確認しているのだ、かつてのチームメイトだった自分を見ているのではない。
そう分かっているのに顔を上げて視線を交わすのが怖かった。
 指先は正確に動き、通常の処置を施しているのに、サクラの心臓は早鐘のようになり続けている。矛盾する反応をサクラは恨めしく感じた。

「ナルトは無事なのか?」

 突然の問いかけにサクラの肩は大きく震えた。10年前、最後に耳にした時よりも深く低く耳の奥まで入ってくる。

「まだ意識は戻ってないけどもう大丈夫よ。目が覚めたら後遺症とかの確認はしなきゃいけないけど」

 どれだけ今の状況に緊張しているのか、思わず口を滑らせた自分の迂闊さにサクラは嫌気が差した。
いくらつい数時間前までサスケと行動を共にしていたナルトの状態とはいえ、現在囚人としてここにいるサスケに外界の情報を教えるのはご法度だ。

「傷口を縫合するので、沁みるとは思いますが乾いた血を流します」

 それでも平静を装い、精製水を含ませたガーゼを彼の傷口につけ少しずつこびりついた血をふき取る。
自分の動きに不自然な所作はないか、それだけがサクラの頭を占めていた。男は微動だにせずサクラに身を任せていた。

 一通りの処置が終わり、サクラは洗浄や縫合に使ったガーゼなどを集め、医療器具を漏らさずケースに収めていく。
メス1本どころか、針1つですら残してしまうと脱獄や自殺の道具として使われかねないからだ。
囚人の治療は、通常のそれに比べ、神経をすり減らす緊張状態が続く。幾度となく数をこなしても慣れることはなかった。
 この緊張は自分の目の前にいるのが彼だから、ではない、いつもの囚人の治療だからだ、とサクラは無理に思いこもうとする。
ケースの所定の位置に道具が全て収まっているのを目視で確認した後、再度周囲も見直して自分の所持品が落ちてないことを確認し、替えの湿布や包帯、薬数種を机に置いた。

「縫合をしたので暫くしたら熱が出てくると思いますが正常な反応ですから心配しないでください。
痛み止め・化膿止めの薬を3日分置いていくので毎食後服用を。あと、解熱剤も置いておくので熱が辛いようなら飲んでください。
治療は以上です、今から大蛇丸の呪印の封印をしますから部屋の中央に座ってください」




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