「治療は以上です、今から大蛇丸の呪印の封印をしますから部屋の中央に座ってください」

 写真に映っていた女の声は平坦に空気を震わせるだけで感情は読みとれない。
その声は幼い時に比べ幾分低くなっていたが、話すスピードや、間の置き方など当時と変わってはいなかった。
彼女がここに入ってきてから一度も視線を交わしていないことや、抑揚を抑えた声の波長がサスケの頭の隅で薄い靄のような違和感としてある。
当然と言えば当然、か。抜け忍は重罪人、過ぎ去った時間の長さが自分たちの関係を変えたのだ、とひとり納得した。

 女は自身の血を使って、サスケを中心に置いて放射状の術式を書いていく。近づきは離れ、離れては近づく。
近づくその度に女独特の甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
昔と変わらない薄紅色の長い髪が俯きがちな彼女の顔を隠しており、その表情は読めなかった。
術の準備が整ったらしく、彼女はサスケの左側に立ち印を結び始めた。
周囲に張り巡らされた術式がサスケの左肩の呪印に集まってくる。
痛みはないが術式が通る皮膚の下に抜糸のような異物感・違和感を感じる。

 最後の一文字で呪印の周囲を囲んだのと同時に、自分の左側に立っていた女が膝から崩れ落ちた。
咄嗟に自身の胸の中に閉じ込める形で彼女を抱きとめる。甘い匂いが更に濃くなった。
 封印術は被術者にも負担をかけるが、施術者も精神力・胆力がいる高等な忍術だ。
封印術以外にも治療を施された時に、投薬の代わりに自身のチャクラを患部に注入することで麻酔代わりにするなど、彼女は高度な技術を有していた。
それらを当り前のように習得しているのにも驚いたが、今受け止めた身体のその軽さ、細さに心の中が更に粟立つ。

 下忍として行動を共にしていた頃と彼女は明らかに変わっていた。

「ご、ごめんなさい」

 すぐに状況を察知した腕の中の女は、サスケから身体を離そうとして胸板を押す。
だが女の背にまわしたサスケの腕にはしっかりと力が入っており、女は驚きを持ってサスケの顔を見上げた。

 初めて翡翠色の瞳がしっかりとサスケの瞳を見据えた。湖面のような色の中にあるのは驚きと、そして微かな恐怖。
交わしたと思ったのは束の間、瞬時に視線を逸らされ、尚も離れようとする動作がサスケを無性に苛立たせる。
 彼女の瞳に自分を映したい、気付いたらその細い顎を掴み、自分に強引に向かせて唇を重ねていた。
驚いた彼女は更に抵抗を激しくする。
逃げられないように、と顎を掴んだ手は後頭部に位置を変え、抵抗をしようと医療機器に伸ばそうとしている女の右手首を掴む。
サスケは急激に渇きを覚え、まだ足りないとばかりに、固く引き結んだ唇を割り開く為に柔らかいそれを血が出ない程度に噛んだ。
サスケの思惑通り、彼女の唇が薄く開いた為、強引に舌をねじ込む。

「ふっ」

 甘い。唾液も、堪えきれずに零れたその声も。狭い口腔の中で逃げ惑う舌を絡めると、ようやく彼女は腕の中で大人しくなった。


 どれぐらいそうしていただろう。唇、細い手首を掴んだ掌、小さな手が置かれた胸、彼女と触れている箇所全部が熱く感じられた。
彼女の熱か、はたまた自分の熱なのかサスケにはよく分からなかった。
掴んだ手首の細さに驚きを覚えながらも、自分が大きくなったのか、サクラが小さくなったのか、
男女の成長の違いはこんなところにも出るのだ、とぼんやりと考えていた。

 重ねた唇を離しサクラを見ると、先ほどとは違いサスケをまっすぐに見ている。
唇は紅く染まり、どちらの唾液とも知れずてらてらと濡れている。
左目に浮かんでいた涙が決壊し上気した頬を通り過ぎていく。
ほの暗い洞窟の中でその雫の軌跡がわずかな光源で光っている。

「どうして」

『「どうして」』自分ですら分からない。むしろサスケ自身が驚いていた。
 自分の感情を分析・表現することは昔から苦手だが、なぜ自分自身がそうしたのか。
何故サクラの己を見ようとしないその態度に苛立ったのかもよく分からなかった。
サクラは問いかけておきながらも、答えを待つことも、更なる追及をしようともせず、流れた涙を自身の手で静かに拭うと何事もなかったかのように出て行った。


「どうして」

 いなくなった暗い洞穴の中に微かに残り香が漂っている。そのせいか、サスケの耳の奥で4文字がずっと反響していた。






それは夢のようにうつくしいしずかな朝




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