気がついたらサクラは自室の天井を見ていた。使い慣れた温かな布団にくるまっている。どうやら無事に家に帰り着いて、きちんと床に入って眠ったようだった。
ベッドサイドに置いてある時計を見ると2時を回っていた。日差しがカーテンの隙間から射し込んでいるから午後の2時で間違いないだろう。
 何となくだが時間を逆算して5時間ほどは眠れていたと思う。夢を見ないで寝られたのがサクラにはありがたかった。
シャワーを浴びようと脱ぎ捨てた服は昨日の任務着のままで、自分のこのだらしなさを見たらきっと母は嘆くだろうとサクラは覚醒しきれない頭で苦笑した。
 何ひとつ身につけず全身が映る鏡の前に立ち、傷はないか余計なぜい肉がついていないかを丹念にチェックしていく。
この整えられた女の身体は武器なのだから。

 サクラは最後に自分の顔を真正面から見据えた。十分な睡眠を摂れたおかげでいつも目の下に浮かぶクマは薄く血色も良い。
視線は自然と唇に吸い寄せられた。唇を指先でなぞる。彼と確かに熱を交わした唇。
 彼は一体どうしてあんなことをしたのか、ぼんやりと考えるが答えが出るはずもない。
答えを聞く前に逃げ出したのは自分だ。自分の挙動が入口にいた暗部に不思議に思われたりしなかっただろうかと不安になる。

「ナルトの様子を見に行かないとね」

 サクラは日常を一刻も早く取り戻したくて湯の温度をいつもより熱くしてシャワーを浴びた。





それは夢のようにうつくしいしずかな朝






 個室のベッドでは、起き上がり、今まさしくバナナを口に咥えようとしているナルトがいた。
ナルトは入口に立つサクラの姿を確認すると、そおっと口の中のバナナを外に戻そうとする。

「あんたねー、さっき目が覚めたばかりって看護師さんに聞いたんだけど!
胃の中空っぽだし、麻酔も切れて間もないんだから戻しても知らないわよ!!」

 大股でベッドに詰め寄る。彼の姿に安堵と少しの怒りとでサクラは気持ち声が大きくなる。

「大丈夫だってばよ、さっき綱手のばあちゃんが来てこれ置いてったんだから。
ばあちゃん来る前に重湯も食わせてもらったけどいくら食べても腹に溜まんないし」

 いつものナルトだ。サクラはほっとしてベッド脇にある丸椅子に腰をかけた。

「神経性の毒がだいぶ広がってたけど、感覚がおかしいところとか動かないところとかある?」
「太ももの毒んところはきちんと痛みあるし、他の細かい傷はサクラちゃんのおかげでもうきれいに治ったからだいじょぶ。ありがとね」
「私のせいじゃなくて、お腹の九喇嘛のおかげでしょ」

 いたずらっ子の子供を見る姉のように柔らかく微笑みを向けてくれる彼女は昔と変わらない。
いつまでも可愛くて大事な存在がそこにいることがナルトの胸を温かくしてくれる。
自分の腹の中にいる九喇嘛のことを打ち明けた時に流した彼女の涙以上に綺麗なものをナルトはいまだに知らない。
サクラの存在は、ナルトにとって言うなれば一番大事なたからものだ。

「いんや!サクラちゃんの医療忍術のおかげだから、ほんとにありがとだってばよ」

 にしし、とナルトは幼い頃から変わらない笑い顔をサクラに見せた。
過去の辛い思い出、互いに受け入れることのなかった九尾と人柱力の同調、と常人だったら逃げ出さずにはいられないことをまっすぐ前を見据えて乗り越えてきたナルト。
 辛く逃げ出したい経験を克服した後、彼はサクラに一番に打ち明けた。ナルトは本当の強さを持つ忍だと思う。
それに比べて私は・・・、サクラはベッド脇の点滴・投薬管理表を確認するふりをしてナルトから顔を背けた。

「サクラちゃん、サスケに会ったんだろ?」

 ナルトは何かを確認するようにゆっくりと口を動かす。もちろん確認したいのはサクラの胸の内だ。

「会ったわよ。綱手様に言われた通り治療をして、呪印の封印をして帰って来たわよ」
「それだけ?」
「それだけ・・・ってそういえばナルトは無事かって聞かれたわね」
「本当にそれだけ?」
「何が知りたいのよ。言いたいことあるならはっきり言って」
「サクラちゃんは嬉しくないの?」

 病院に来るまでの道すがら、目覚めたナルトに聞かれるだろう、とサクラは回答を用意していたはずだった。が、出て来ない。
目の前のナルトの真剣な碧い瞳に吞み込まれてしまっていた。
 それでも、精一杯の虚勢を張って吐き出す。

「抜け忍はよっぽどの特例がない限り、死罪もしくは行動を制限されて一生里の監視下に置かれるかのどちらかよ。
そんな状況で素直に喜べる?」
「違う、俺が聞きたいのは」

 強まったナルトの語気をサクラの人差し指が優しく制する。
人差し指の先にあるサクラの笑顔は、出かかっていた言葉を吞み込ませてしまうほど悲しいぐらい澄んでいた。

「ナルトは下忍の頃からずっと変わらないね、いつも真っすぐ前を向いて。沢山の困難に打ち克って。
サスケくんを連れて帰って来てくれて本当にありがとう。
ナルトは強くて、ほんとうにきれいだね」

 今日は調子が狂ってる、冷静でいられない。静かな湖面に大きな石を投げ入れられたように心はずっと波紋を広げ続けている。
サクラはこれ以上ナルトの顔を見ることが出来ず「帰るね」と小さくつぶやくと病室を後にしようとした。

「サクラちゃんの方がきれいだってばよ」

 その一言を彼女の華奢な背中に投げかけるのが精一杯だった。

「ナルト、ありがとう」




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