初めて人を殺めた時はあの場所から逃げ出したくて一刻も早く終わらせたくてとにかく夢中だった。
ひたすら力任せに何度も何度も男の背中へクナイを振り下ろした。
学んできた忍術や体術なんて、その瞬間は何の役にも立たなかった。
その事実は悲しくて虚しくて、そして。


 連れ込み宿はどうしてどこも似たり寄ったりなのだろう。
受付にいる老女はきまって不愛想で客一人ひとりの顔に興味を持とうとはしないし、
窓の不在で時間の感覚をなくさせる室内は一見装飾に凝っているようだが、実は何もかもがちゃちな設えで飾られている。
 まあどうせやることは一つだけなんだから、しょうがないといえばしょうがないか。

 サクラは血で汚れた簪を洗面所で洗いながら考えていた。
 薄い壁一枚隔てたベッドの上には中年の脂ぎった男が寝ている。
正確に言うと、かつて男だったもの、が転がっている。
 チャクラで硬化した簪で心臓を一突き。
医療忍者として常人よりも人体を知り尽くしているおかげで、サクラの手際の良さは誰よりも誇れるものになった。
 簪を抜いた後の体表面の穴をチャクラで塞いでしまえば外傷はどこにも見当たらない。
不審死ではあるが自然死の疑いも捨てきれない、場末の宿にピッタリなそんな死体の出来上がりだ。

 簪に血が残っていないのを確認して洗面台の周囲に跳ねた赤い滴を綺麗に洗い流す。
顔を上げると娼婦然とした自分が鏡に映っている。

 紅い襦袢は洗面所の暗い照明の下でもサクラの肌の白さを更に際立たせている。
首、鎖骨に浮かんだ紅い痕に掌をかざすと跡形もなく消えた。
医療忍術はつくづく便利なものだ、とサクラは胸の中で小さく安堵した。

 適当に髪を梳かし、水滴を払った簪を然るべき場所へと戻し、口中を清浄にして乱れてしまった化粧をもういちど綺麗に整え直す。
男が街娼を買うのを知っていたからこの化粧をして花街に立った。
濃いシャドウで瞳を囲い、赤いグロスで唇を濡らしてある、なんてお似合いなんだろう。
 乾いた笑いが喉元から込み上げてサクラは声を上げて嗤った。

 そうしてその波が治まると無性に苛立たしくなり鏡に映る自分に向ってサクラは水をぶつけた。





それは夢のようにうつくしいしずかな朝





 一週間の再教育を終えたその足でサスケはひとり火影塔へと向かっていた。
暗部の監視付というかりそめではあるが、晴れて木の葉の忍に戻ったのだ。
 アカデミーから送り出される際、イルカに復帰祝いにと7班で食事に来るように誘われた。
ナルトとサクラにもイルカ自ら声を掛けておくという。
 サスケは別に断れない訳でもないが、断る理由もないし、人の良いこの男の言う事は昔からなぜか素直に頷いてしまう。


 火影の執務室に通されると先客がいた。
アカデミーの書庫での一件以来、顔を合わすことがなかったサクラがいた。
 振り返りサスケの姿を一瞥したサクラは綱手に問いかける。

「退室しましょうか?」

 綱手は手振りで構わないと示し、「ほら、お前のだ」とサスケに向かって銀色の小さなプレートを放る。
 弧を描いて受け取ったそれは木の葉の忍者識別票だった。
表には木の葉のマーク、裏には自分の識別番号だけが彫られ、名前を記さないのは他の里の人間に個人を特定されないためだ。
 敵の手に落ちてしまった時、それが誰なのかどの部隊の所属で階級は何なのか、というのは生死を問わず重要になって来る。
拷問を加えてまで引き出せる有益な情報を持っているのか、取引の材料としての価値はあるのか、解剖や実験をするような血継限界や体質・能力をその身に宿しているのか。
名前を彫られていたら瞬時にその判断を敵は下せることになってしまうからだ。
 識別番号の横には、見たことのない『-3』と刻印されていた。

「また明日から木の葉の一員として、たっぷりこき使ってやるからね」

 綱手はえらくご機嫌な様子でサスケへと笑いかける。

「3ってのは何だ?」
「それは出戻りってことだよ。まあお前みたいな奴は時々いるってことさ」

 シズネから渡されたチェーンに通してからサスケはプレートを首につける。

「じゃあ2とかもあるのか?」
「紛失したりして再交付した場合ね、私がそうだから」

 サクラは襟元のファスナーを僅かに下ろし、己のプレートを引っ張り出してサスケに示した。
今日のサクラも2人の間には何事もなかったかのように明るい瞳で笑いかけてくる。

 結局サスケは現在のサクラのことなど何一つとして分かっていないのだ。
今日のように屈託のない下忍の頃の彼女の延長に立つサクラだと感じる日もあれば、艶やかな色を持った見たことのない女だと感じる日もあった。

 出されたプレートをちらりと見ると識別番号の横には確かに『-2』と刻印されていた。
 サクラはサスケに背を向けプレートを服の中へとしまい込む。
ファスナーを上げる際に髪の毛を巻き込まないよう纏めて一方へと寄せた為、彼女の白く細い項が晒された。

 紅い鬱血の痕、それは執務室を後にしてもしばらくサスケの脳髄に焼き付いて離れなかった。


 俺はサクラの何を知りたいのか?あの女の何を確かめたいのか?




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